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【ロック史】自ら起こしたグランジブームを自身の死で終わらせたニルヴァーナの衝撃

イギリスでインディー・ロックが社会からはずれた若者をとりこにしていたころ、アメリカで流行したのがグランジ。

そのサウンドは、ハードロックとパンク・ロックの特徴をあわせもつ音。

世界を席巻したグランジでしたが、ニルヴァーナのフロントマン、カート・コバーンの死によってブームに終止符が打たれました。

本記事では、80年代後半~90年代前半アメリカのロック史、グランジに焦点をあてました。

80年代末のアメリカのロック

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80年代末のアメリカのロック事情はというと、LAメタル、そして引き続き産業ロックとよばれるバンド中心にシーンを引っ張っていました。

地方都市では、インディーズやカレッジ・ラジオがメイン。

ワシントン州シアトルは後者のような都市で、この土地特有のハードロックとパンク・ロックが融合した音楽=グランジを特徴としたロックが中心となっていました。

そして1989年にメロディ・メイカー誌がグランジの特集を組んだことで、世界的に注目を浴びることに。



ニルヴァーナの「ネヴァーマインド」ヒット

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ニルヴァーナのセカンドアルバム「ネヴァーマインド」が世界的にヒット。

その中でも先行シングルである「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」が驚異的なセールスを記録しました。

ニルヴァーナは一躍全米チャートの頂点へ。

Smells Like Teen Spirit
ニルヴァーナ
1991/09/10 ¥250

グランジ・ロックバンドが次々に成功

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ニルヴァーナの「ネヴァーマインド」成功と同時期に、サウンドガーデンやパール・ジャム、マッドハニー、アリス・イン・チェインズといったシアトル出身のバンドが次々に成功を収めていきました。

中でもとくにニルヴァーナに次いで驚異のヒットを記録したのが、パール・ジャムの「テン」。

当時日本では散々な評価だったようですが、時代の経過とともに評価は高まり、彼ら屈指の名盤として認知されています。

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ソニーミュージックエンタテインメント

そのほかスマッシング・パンプキンズやソニック・ユースなど、ニルヴァーナよりも早くにデビューしているバンドにも刺激しました。



ロックスターの苦悩

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グランジ・ロックのブームによってとりわけ人気が高まったニルヴァーナとパール・ジャム。

フロントマンであるニルヴァーナのカート・コバーンとパール・ジャムのエディ・ヴェダーは、過熱するメディアやファンが彼らを神格化することに苦悩しはじめました。

ロックスターとしての成功と自身の内側の部分とのギャップがどんどん広がっていき、重圧が彼らを苦しめたのです。

そして1993年、ニルヴァーナは自らの苦しみをさらけだした狂気的なアルバム「イン・ユーテロ」をリリース。

ネヴァーマインドがニルヴァーナのロックスターの虚像であるのに対し、彼ら本来の姿を描写した「イン・ユーテロ」はあまりにも生々しい。

All Apologies (Remastered)
ニルヴァーナ
1993/09/21 ¥250

グランジ・ロックの終焉

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そして「イン・ユーテロ」のリリースから半年の1994年4月、カート・コバーンの死によってグランジブームは終焉を迎えました。

以前より薬物依存に苦しんでいたカート・コバーン、薬物を服用し、自らショットガンで頭を打ち抜き死亡したのです(享年27歳)。

暗殺説もありましたが、カートは家族・友人・ファンにあてた遺書をのこしています。

こうしてニルヴァーナにはじまったグランジブームも終わりを迎えることになりました。

ロック史まとめ

  • 80年代後半アメリカのロックはLAメタルとカレッジ・ラジオ、アンダーグラウンドの二極化
  • ハードロックとパンク・ロックが融合したグランジが世界的に注目される
  • ニルヴァーナの「ネヴァーマインド」が世界で驚異のヒット
  • しかし成功のプレッシャーでニルヴァーナのカート・コバーンは苦悩
  • 自ら命を絶ちグランジブームが終焉を迎える

<参考>クロスビート編集部 最強版 ロックの50年、究極の500枚 (2012/6/30)